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昭和18年(1943) |
東京都江東区に生まれる |
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昭和33年(1958) |
中学3年の夏休みから東京上野の池ノ端の金井整形外科の通いの書生となる。その時の先輩に現呉竹学園の講師赤石先生が居られた。 |
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昭和38年(1968) |
東京柔道整復専門学校入学。同時に金井整形外科で活躍していた鈴木剛先生の開業に伴って鈴木整形外科の住み込みの書生となる。 |
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昭和40年(1965) |
東京柔道専門学校卒業、国家試験合格、独立開業。低周波、マイクロレーダー、赤外線療法、その他の電気治療機械、されにパラフィン、ホットパック、液体ハップ剤、の組み合わせに関する研究を積む。その時に機械の研究だけでなく技術的な研究の必要性を感じていたので技術的な模索をはじめる。 |
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昭和52年(1972) |
父親が糖尿病で他界。現在の私のでは何とか救えるが、その頃の実力は種々の症状が現れていても何も見えずにいたことが悔やまれる結果となっている。父の糖尿病が転機となり、柔道整復師でも何か方法を見つけることにより、身体のなかで起きた病は身体のなかで治す研究にかかる。施術所を閉鎖する。 |
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昭和58年(1983) |
友人の開設する分院長を引き受ける。そこでカイロプラクティック手技療法の技術及び理論の研究を行う。その結果同法の技術的及び施術について幾多の疑問を生じた。更に治癒力を高めるために独自に研究を重ねていくうちに体内の変調、疼痛、圧迫感、重圧感、手足の冷感等はほとんどが関節の転位により、神経、筋肉の緊張により起こってくることを発見。それらに対応する新技術の研究開発に取り組みそれぞれの関節の転位を整復する独特の徒手整復法を開発する。又、その臨床の中で本来目的としなかったものまでが、副産物的に治癒をみることがかなりの数に昇っている。その例としてアトピー性皮膚炎、ワキガ、痔、その他がある。
患者の中に獣医の方がおり、意見の交換がヒントになり、自説ではあるが、脳死の問題にも積極的に取り組み、一線を画した理論を持っている。 |
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昭和62年(1987) |
現在の施術法を『関節整復法』と命名。更に未知の分野に役立てるべく新技術の開発に研究を重ねている。また志を同じくするパラメディカルの人たちと意見、技術の交換、及び希望する人たちに門戸を開放し指導にあたっている。 |
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平成4年(1992) |
サライの取材を受ける。 |
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平成5年(1993) |
日本接骨師協会 副会長に任命される。
健康雑誌『安心』取材受ける。11月号カラー掲載(後6回)の原告依頼を受ける。 |
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平成6年(1994) |
日本接骨師協会学術部長を兼務。 |
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平成10年(1998) |
UHF14CHMTV2回出演。
この頃より当院に多数の芸能人が来院し、治療を施す。その中の一人にDJロバートハ
リスがおり、
雑誌「安心」に湯浅先生の紹介文を載せている。
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平成12年(2000) |
千葉県市川市に移転。現在に至る。 |